多くの人の辿ってきた道のり

Posted by らじばんだり - 7月 25th, 2014

現実逃避の一種でたとえあったとしても、とりあえず、悲嘆のどん底にいて、何の希望もない人間にとっては、体で四国の中に飛び込んで、すばらしい自然や海や山の景色に触れ、昔から多くの人の辿ってきた道のりを歩き、美しい仏像を見て、無心に真言を唱えているだけで、何もしないよりは大きく癒され慰められるものがあるし、すべての札所を打ち終わったあとには、最初の時とはぜんぜん違うご縁や風光が見えてくる。

というわけで、私は真言宗には今でも大きな感謝をしているし、愛着がある。
今もって、浄土門に完全に入りきれたわけではなく、自分の中には、真言宗から学んだものや、真言宗的な要素がいっぱいあると思う。

だが、それからしばらくして、旅から帰って、日常を暮らすうちに、結局、未だに救われていない自分にぶちあたらざるを得なかった。
べつに、僧侶になるわけでもない私にとっては、四六時中遍路に行くわけにも行かず、旅から帰ってきたら、日常生活が待っている。

真言宗が説くような、超人的な行が在家で、しかも大して体力も根性もない自分にできるわけでもない。
ときどき、護摩供養にも参加して、真言を唱えてみて、その時はたしかに多少気分が良くなったように思えても、結局煩悩にまみれて、迷いばかりの自分の日常生活が変わるわけでもない。
しかも、真言宗が説くところの、十善戒を守ろうとすればするほど、全く十善戒を守れていない自分に救いようのなさを感じざるを得なかった。

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